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2011.04.08スーパーおばあちゃん
私の祖母は頑固で、無口で、優しい。
昔、誰にも連絡をよこさず富山の実家に来たことがある。静岡から電車を乗り継いで今までに来たことのない家にやってきた。母が仕事から帰ってきたら玄関の前にちょこんと座っていていた祖母。突然のことで家族みんな目を丸くした。腰が曲がり足の悪い祖母がどうやってたどり着いたかは未だ不明。
翌日、ニコニコ笑って静岡に帰って行った。
また、祖母は子供はもちろん孫11人の誕生日を全て覚えている。高校にあがるまで、毎年孫の誕生日の新聞を全部とっていた。高校にあがるとともに本人に譲渡。さらにはひ孫9人の誕生月まで覚えている。
その他にも数々の武勇伝を持っている祖母はまさにスーパーおばあちゃん。
そんな祖母が他界した。
胃がんの報告を受けてから約1カ月。あまりにも突然で、そしてあっという間だった。
1カ月前祖母のお見舞いに行った時、具合が悪いのにもかかわらず「ジュース飲みな」「ご飯食べた?」「バイクは危ないから気をつけるだよー」と自分よりも私のことを気遣ってくれた。
そして、2回目のお見舞いの時。別人かと思うほど顔がむくみ、体にはいくつもの管が通っていた。それでも祖母は「うちに帰りたい。うちに帰りたい」とかたくなな態度を崩さず、半ば無理やり医院長先生に一時帰宅の許可をおろさせた。
うちに帰り、私と一番目の伯父で祖母に付き添った。冷たい手足をなぜか祖母はさらに冷やしてほしいと頼んできた。二人で濡れタオルで冷やし、口が渇くからと濡らした脱脂綿をくわえさせ、というのを繰り返していた。
そのうち、だんだん祖母の声は弱くなっていった。
祖母が「背中の座布団をとって」と言ってきた。
しかし、背中の下には座布団なんてなかった。感覚が麻痺していた。
「座布団ない……よ…」と伯父が床に崩れ落ち、涙を流し始めた。
初めて見る伯父の姿だった。還暦過ぎた大の大人が泣き崩れる姿と娘のように私をかわいがってくれた伯父の姿が頭の中で交差してなんともやるせない気持ちになった。
祖母のためなら何でもしてあげたいのに、祖母が何をしてほしいのかがわからない。無力な自分がもどかしくてたまらなかった。
そんな時、「アルバイト…アルバイト…」と弱々しい声で祖母が言った。
「え?何?」と聞き返していると伯父が「ありがとうって言ってるんだよ」と教えてくれた。
「ありがとう」
これが私が聞いた祖母の最後の言葉だった。
その後祖母は話すこともできなくなり、救急車で病院に戻った。
救急車の横で二番目の伯父が頭をかかえて泣いていた。
救急車の後を追って病院に着いた時は祖母の意識はなく、呼吸だけ感じとることができた。
医者に「今日が山です」と、TVドラマで見たことのある風景が目の前で起こった。
子ども、孫、ひ孫が病院に集まってきた。しかし、富山を出発した母はまだ向かっている途中。「お母さんが来るからもうちょっと頑張って!!」と祖母に言い続けた。
まさかこんなことになるとは思っていなかった私はパニックになり、トイレの中で泣きじゃくった。
1時間ほど経ち、母が息をきらして病室に入ってきた。祖母の手をにぎり「おかあちゃん!おかあちゃん!」母は祖母を呼び続け、私は母が祖母のことをそう呼んでいることを初めて知った。
私の前ではいつも「おばあちゃん」だったから。
その後間もなく祖母は眠るように息をひきとった。
祖母は末っ子の母をちゃんと待っていた。
祖母らしい潔い死にかただった。
さすがスーパーおばあちゃん。
子ども達は祖母に付き添い、孫たちで家の掃除を始めお寺さんを迎える準備をした。親族の団結力を実感した。急にバタバタと忙しくなり、悲しみにふける余裕もなく従兄達と冗談を言い合うこともできた。ただ、みんなの目は真っ赤だった。
数日後通夜と葬儀が行われた。おばあちゃんらしい葬儀にしたいと、明るい色で飾ったり、スライドで祖母の生い立ちを流したりと一風変わった葬儀だった。遺影には私が去年撮影した写真が使われた。
これからどんなに大きい仕事をしたとしても、自分が写真を撮ることでこれ以上誇りに思えることはないだろう。
最後に孫11人全員が祖母の前に並んで弔辞を行った。それぞれの思い出を語り、感謝の気持ちを述べた。最後に弔辞を述べたのは、祖母が育ての親となった私より5つ上の従兄だった。前日に「俺の見事な話しっぷりでオーディエンス泣かせてやるから任せとけ!」と豪語していた彼が、書いてきた手紙を読めないほど声をつまらせながら泣いていた。
火葬場で祖母の骨を見ると、91歳とは思えないほどのしっかりした骨だった。
骨になってもスーパーおばあちゃん。
東京に帰ってきて、祖母の話をすることがなくなり急に寂しくなった。今でも、生活をしていて急に涙が溢れてくるし、寝ようと思って目をつむるとおばあちゃんの笑顔が出てきて嗚咽が出るほど泣いてしまう。それだけ私の中で祖母の存在は大きく、そして偉大だ。
前を向いて進まなければと思う反面、この寂しさを乗り越えたと同時に祖母が遠くへ行ってしまうような気がしてくる。だから、ずっと祖母が亡くなった悲しみにひたっていたいとも思う。
しかし、祖母はそんな私を見たら「いつまで泣いていたってしょうがないだよー!しっかりしなさい!」と言うだろう。こんな私の姿を祖母は望んではいない。
だから、祖母のためにも私は私の道をまっすぐ進んで行こうと思う。
祖母がそう生き抜いたように。
おばあちゃん、いっぱい愛を与えてくれて
「ありがとう」
10番目の孫 祥恵より