sachie

「紹介したい人がいる」

友人Aから写真と共にメールが送られて来た。

「私の娘です。」

突然の朗報に沸き、1秒も足らない早さで「おめでとう!!!!」とでメールを返した。

「貴女の名前をつけました。sachieです。」

愛娘に私の名前をつけるなんて…なんてことを…。おいおい、それでいいのか??というのが私の第一印象。

とりあえず、「そりゃ美人になること間違いないね!成長が楽しみ。」と返事をした。

すると、Aは前者には全く触れず「ありがとう」と返して来た。

Aに知り合ったのは2003年10月か11月だったかな。それから、10年以上諸般の事情を見て来た。

はるばる海の向こうから日本に来た頃は日本語は全く話せず、お互いなまりになまった英語と身振り手振りで意思疎通をしていた。

出会った日の夕方、Aのフリーメールのアカウントを作り、これでいつでも祖国の家族と連絡がとれるようになるようになるよ!とホームシックにならないように気を遣った、つもりでいた。

数年後、Aが笑いながら話してくれた。あの頃、私の家族は貧困の真っ只中にいてパソコンを手にするなんて夢のまた夢だったんだ。アカウントを持っていたところでメールを送る人がいなかった。

平和ボケしていた私の親切心は徒労に終わっていたのだ。

その後Aはまっすぐ突っ走った。常に自分の中の何かと戦っていた。何度も何度も転んでは立ち上がっていた。

日本人である私の常識とAの常識は幾度となく衝突した。それでも、嫌いになることはできなかった。

Aの祖国にも行った。お母さんと弟と10日間ほど過ごした。Aが仕送りしたお金で、夢の夢だったパソコンがあった。家も建っていた。庭には以前住んでいた家があった。「この家の前はあそこに住んでいたのよ」と教えてくれた。私の感覚ではそれは「家」ではなかった。私の実家にある犬小屋の方がよっぽど雨風しのぐことができる。

お母さんと買い物に行った。両手では抱えきれない程の服をレジで清算していた。お母さんは終始ニコニコしていた。

Aはこの為に踏ん張って日本で生きているんだと実感した。

2年前、Aにとって大きな試練があった。

全く連絡をとることができず、どこにいるかも分からなかった。

少ない情報を頼りに、Aの居場所を見つけ出した。

久しぶりに会ったAは痩せこけ、ストレスで髪が真っ白になっていた。

その時Aは憎しみに溺れていた。「死にたい」と言っていた。

そんな姿を私は見ていられなかった。しかし、まっすぐ目を見て言った。そうするべきだと思ったから。

「憎しみに目を向けてもなにも生まれない。前を見て欲しい。」

敬虔の念が深い誠実なAなら、そんなこと分かっていたはず。

人間はとても複雑な生き物。感情と理性が一致するとは限らない。必ずしも、理性の通りに動ける程強くはない。

Aは首を縦には振らなかった。

私は何もできなかった。

そんなAが今生涯の伴侶を得、親となり、会社を経営している。

その時はそんな素晴らしい将来を想像することなんて微塵も出来なかった。

もし、あの時の「前」である今を知ることが出来ていたならば苦労を苦労とも思わなかっただろう。

あなたは将来結婚し、子供が産まれるんだから安心しなさい!と私はAに光を与えることができただろう。

悲しいかな、それは不可能。

先も見えない真っ暗闇をただ歯を食いしばって耐えることしかできなかった。

試練を乗り越えたあと、夜中酔っぱらって電話がくることが度々あった。呂律がまわらない舌で、私にほんろうにありらろうごじゃいま〜す!!と連呼していた。

正直、酔っぱらいの相手をするのは面倒くさかった。しかし、それ以上にお酒を飲んで楽しんでいる声を聞けて涙が出るほど嬉しかった。

Aは必ずいい親になる。大きな試練を乗り越えたことで人の心の痛みを理解し、そして感謝の意を持つことができるから。

 

今度はあなたとの思い出を噛み締めて言います。

おめでとう。

 

そして、私の名前をつけてくれてありがとう。

私も背筋を伸ばします。

海の向こうのsachieに会う日を夢見ながら。

 

 

sachie